2018年2月20日火曜日

白峯神宮

~サッカーで怨霊鎮魂~

『本法寺』を出て堀川通沿いに進んですぐの所に駐車場かな?と思いきや<「源氏物語」ゆかりの寺院>という気になるパネルを見つけたのでちょっと入ってみました。






『薄雲御所(うすぐもごしょ)、正式には『慈受院(じじゅいん)という一般には非公開の門跡寺院で手持ちのガイドマップにも記載されていなかったのですが、さすがにここまで記事にするとキリが無いのでこれだけにしておきます。ただちょっと調べた限り「源氏物語」との関係は結構薄そうです。



しばらく歩いて今出川通に当たったので東へ、最初に通った道へ戻ってきました。



そして行きはスルーした『白峯神宮』へ。『晴明神社』へ御朱印帳を買いに行ったので行きはスルーしましたが、最初に回る方が効率は良いですね。








『白峯神宮』と言えば、最強の怨霊とも言われている崇徳上皇を鎮めるために建立した神社で、かつては京都屈指の魔界スポットだったらしいですが。。。









なんか今はこんな感じに、サッカーを始めとする球技全般の守護神として有名になってしまって、多くのスポーツ関係者がお参りに訪れているようなすっかり明るい雰囲気の神社になってしまいました。
ヾ(* ・へ・)/θ☆○シュート!!



元々『白峯神宮』があった所は、蹴鞠の宗家だった堂上家飛鳥井家の屋敷があった所で、明治元年(1868年)にそこの跡地に『白峯神社』を建立しました。


      ※蹴鞠場も再現



蹴鞠の守護神でもある精大明神(せいだいみょうじん)を祀る地主社


崇徳上皇が1156年に保元の乱」に敗れて讃岐の白峯(香川県坂出市)に追放されてから、実に712年ぶりに京に帰ってくることが出来ました。


       ※崇徳上皇碑

「背を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」

百人一首にも出てくる崇徳院の有名な歌ですが、長い時を経ましたがようやく歌が現実になることが出来ました(ノД`)



また明治6年には、崇徳上皇の前に天皇もしくは上皇でありながら流罪に遭ってしまった淳仁天皇(764年・藤原仲麻呂の乱にて)も祀ることになり、昭和15年に『白峯神宮』に昇格となりました。


明治維新のゴタゴタが落ちついた?ばかりの明治元年と、これから太平洋戦争の真っただ中という昭和15年に、逆にこの最大の怨霊の力を借りて何とか国を落ち着かせようという強い意志が見えてきます。



『白峯神宮』というと個人的に印象深いのは、サウンドノベルの名作TVゲーム『街』のシナリオで、世界征服を狙う悪の秘密組織「七曜会」がこの『白峯神宮』の力を借りようとするお話がありました。

この『街』の発売が1998年なのですが、実は同じく1998年に行われたワールドカップフランス大会に日本が初出場した時に、サッカーの神様としてマスコミで大きく取り上げられたのが『白峯神宮』が現在の様に注目されるようになった始まりのようです。

ゲームスタッフもまさかこんなにガラッとイメージが変わるとは思わなかったでしょうねw



『白峯神宮』に物騒な魔界的なイメージを求める人にはがっかりかも知れませんが、崇徳上皇淳仁天皇にとっては今みたいに明るく楽しい感じな方が嬉しいでしょうし、怨霊の呪いなんか無いに越したことはないですからね。






『白峯神宮』の御朱印>


       ※印刷物でしたが500円しました。







『白峯神宮』

参拝時間・8:00~17:00
祭神・崇徳上皇、淳仁天皇
ご利益・厄除け、スポーツ芸能上達、闘魂守
交通アクセス・
 地下鉄「今出川駅」から徒歩8分
 バス「堀川今出川」からすぐ

HP・http://shiraminejingu.or.jp/

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