~嵐山の歴史ある変わり種うどん屋さん~
『渡月橋』を渡ってにぎやかエリアに来ましたが、それにしてもスッゴイ人だな(ーー;)
食べる所は何も事前チェックしていなかったけれど、とりあえず『新渡月(しんとげつ)』という創作うどん屋が目に付いたので、ここに入ってみることにしました。
13時も近くなっていたので待つこともなくカウンター席に案内。創業80年の歴史ある店ですが、2016年にリニューアルされたとのことで店内は綺麗です。
内装も店構えと同じで和風のシックな造りながらもどこか上品な落ち着いた雰囲気があり、都内のこじゃれた創作料理屋という感じもするので、女性客も外国人観光客も喜びそうな感じです。
店前で紹介されていて魅かれた『九条ねぎ黒鶏うどん』を注文。
鰹出汁が濃すぎず薄過ぎず良い塩梅の味付けで、たっぷりの九条ねぎに鶏肉も美味く、もちろん自家製麺もコシがあり、おいしゅういただきました。(-人-)
創作うどん屋だけあって、他にも
『蓮根饅頭のみぞれあんかけうどん』
『自家製ポン酢で食べる具だくさんかやくうどん』
『丹波産美肌豚の納豆味噌のチゲうどん』
『国産牛すじの担々うどん』
『にしんと揚げ茄子と、とろろのぶっかけうどん』
『丹波産美肌豚と野菜のカレーつけ麺』
『ホルモンの赤い旨辛つけ麺』
『ぷりぷり海老とパクチーのカレーうどん』
その他にも色々と変わったうどんが並んでいます。
また来てみたいけれど、個人的にはあまり変わり種の食事は好きくないので、次も同じヤツか鶏肉の代わりに鴨肉のヤツにするか、普通のぶっかけうどんになりそうだ(^^;)
食後適当にお土産物屋を覗きつつ北上。どこも人が一杯だな~。
まもなく嵐電嵐山本線の『嵐山駅』へ。
なんかデカいというか、演芸場みたいな感じの面白い駅だね。
それにしてもこの嵐山、観光客の多さも確かに凄いのですが、それよりも普通の狭い歩道に人がひっきりなしに往来している上に、ガードレールの類が無いからすれ違う時には片方が車道にはみ出したり、反対側の店に普通にみんな車道を横断して行き来していてしっちゃかめっちゃっか状態になってます。
おまけに車道も2車線しかないのにそんな状態だから車が全く進むことが出来ず、どこもかしこも渋滞になっているし、そんな所にバスなんかが来た日にゃあ仕方がないとはいえ邪魔でしかないし、途中で完全にバスが身動き取れずにストップしてしまっています。乗ってたらストレスMAXでしょうね~。
嵐山観光に行く時には必ず電車を利用して、バス、自動車は避けるのが吉でしょうね。
車道も歩道も拡張しようが無いですが、ちょっと何とかならないですかね。
ただの道路が韓流原宿と化している新大久保駅周辺もひどいことになってましたが(こっちも2車線)、嵐山は比べ物にならないくらいにカオスでした。それもおそらく1年中で一番観光客が少ないと思われる時期であれですから、ピーク時はどんなことになってるんでしょう。
何で柵とか設置しないんですかね? 景観の問題? 『渡月橋』みたいな趣きある木製の柵とか付けりゃ大分改善しそうなのにね。
雰囲気も良くもっとゆっくりと回りたかったのに、駆け足になってしまったのは残念でしたね。(´・ω・`)
『新渡月』
・九条ねぎ黒鶏うどん・・・1280円
営業時間・11:00~21:00
定休日・毎週木曜日
交通アクセス・
阪急『嵐山駅』から徒歩12分
嵐電『嵐山駅』から徒歩すぐ
JR『嵯峨嵐山駅』から徒歩12分
バス『嵐山天龍寺前』から徒歩すぐ
HP・http://shintogetsu.net/
2018年2月24日土曜日
渡月橋
~自然に溶け込む橋~
いよいよ嵐山のシンボル『渡月橋(とげつきょう)』に来ました。
こちらは『渡月橋』の南側にあります『嵐山公園(あらしやまこうえん)』です。少しゆっくりと散歩したくもありましたが、結構お腹が空いてきたので入口周辺をさらっと見ただけですw
それにしても人気スポットとは聞いていましたが、予想以上の人込みでちょっと驚いています。
日本人もですが、それ以上に外国人が多い印象ですね。
『渡月橋』が出来たのは840年前後、『法輪寺』に虚空蔵菩薩像を持ってきた道昌(どうしょう)によって架けられたのが最初です。
その後17世紀に入って、豪商角倉了以(すみのくら りょうい)によって現在の位置に移され、昭和9年に現在の橋が完成され今に至ります。
ちなみに『渡月橋』という名前は鎌倉時代に亀山上皇(かめやまじょうこう)が、橋の上空を移動していく月を眺めて
くまなき月の渡るに似る
と感想を述べたことから名付けられました。
橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製ですが、欄干部分は木造となっているため、周りの景色と溶け込んで非常に風情のある佇まいとなっており、この自然と文明が一体化した感じが特に外国人に人気なんですね。
『渡月橋』が架かっている川は一般的には桂川(かつらがわ)と呼ばれていますが、正確には『渡月橋』の下流、『松尾大社』方面に向かう川が桂川で、『渡月橋』の上流、亀岡方面に向かう川が大堰川(おおいがわ)、更に先が保津川(ほづがわ)となります。そのため川下りが「保津川下り」となるのですね。
なんだかややこしいですが、ただし行政上は全て桂川で統一されているそうですけれど、せっかくだからちゃんと使い分けた方が粋ですね。
こちらは大堰川です。良い景色ですね~ (*´∀`*)
桂川の写真はこれ位しか無かったです。「渡月橋」から望む嵐山の写真も撮り逃しているし、橋の反対側からの写真もちゃんと撮っておけばよかったですね。 (´・ω・`)
景色は素晴らしく橋も風情があって良かったものの、仕方のない話ですが人が多過ぎるのはやっぱり難点ですね。本当は橋の真ん中でゆっくりと佇んで景色を堪能したかったですが、立ち止まれる感じではなく橋の上で写真を撮るのも一苦労でしたからね。(^_^;)
1年で一番観光客のいないシーズンでこれだけですから、桜や紅葉等のピークの時なんかはとんでもない事になってそうですね。
嵐山に宿泊して早朝とかに行くべきなのかな?(゜Д゜) 夜の『渡月橋』も綺麗だろうし、今度通常の2~3泊程度の旅行をする時はそうしようかね。
嵐山にはもうちょっと景観が綺麗な時期にまた再訪したいですね。
さて、この旅行の数か月後に大雨で桂川が氾濫してしまって『渡月橋』が水没するという事故が起きてしまいました。
2013年にも台風の被害に見舞われましたし、自然と一体化している観光地の怖さをまざまざと見せつけられてしまいました。
本当に何事もなく無事に楽しい旅行を過ごせたのは本当にラッキーでしたし、今年は特に自然災害が目立つ年となっておりますが、皆様も旅行に行かれる際はご注意を。(前回と同じ締めだな)
『渡月橋』
交通アクセス・
阪急『嵐山駅』から徒歩10分
嵐電『嵐山駅』から徒歩3分
JR『嵯峨嵐山駅』から徒歩12分
バス『嵐山公園』から徒歩すぐ
HP・http://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=289&r=1537109969.5227
いよいよ嵐山のシンボル『渡月橋(とげつきょう)』に来ました。
こちらは『渡月橋』の南側にあります『嵐山公園(あらしやまこうえん)』です。少しゆっくりと散歩したくもありましたが、結構お腹が空いてきたので入口周辺をさらっと見ただけですw
それにしても人気スポットとは聞いていましたが、予想以上の人込みでちょっと驚いています。
日本人もですが、それ以上に外国人が多い印象ですね。
『渡月橋』が出来たのは840年前後、『法輪寺』に虚空蔵菩薩像を持ってきた道昌(どうしょう)によって架けられたのが最初です。
その後17世紀に入って、豪商角倉了以(すみのくら りょうい)によって現在の位置に移され、昭和9年に現在の橋が完成され今に至ります。
ちなみに『渡月橋』という名前は鎌倉時代に亀山上皇(かめやまじょうこう)が、橋の上空を移動していく月を眺めて
くまなき月の渡るに似る
と感想を述べたことから名付けられました。
橋脚と橋桁は鉄筋コンクリート製ですが、欄干部分は木造となっているため、周りの景色と溶け込んで非常に風情のある佇まいとなっており、この自然と文明が一体化した感じが特に外国人に人気なんですね。
『渡月橋』が架かっている川は一般的には桂川(かつらがわ)と呼ばれていますが、正確には『渡月橋』の下流、『松尾大社』方面に向かう川が桂川で、『渡月橋』の上流、亀岡方面に向かう川が大堰川(おおいがわ)、更に先が保津川(ほづがわ)となります。そのため川下りが「保津川下り」となるのですね。
なんだかややこしいですが、ただし行政上は全て桂川で統一されているそうですけれど、せっかくだからちゃんと使い分けた方が粋ですね。
こちらは大堰川です。良い景色ですね~ (*´∀`*)
桂川の写真はこれ位しか無かったです。「渡月橋」から望む嵐山の写真も撮り逃しているし、橋の反対側からの写真もちゃんと撮っておけばよかったですね。 (´・ω・`)
景色は素晴らしく橋も風情があって良かったものの、仕方のない話ですが人が多過ぎるのはやっぱり難点ですね。本当は橋の真ん中でゆっくりと佇んで景色を堪能したかったですが、立ち止まれる感じではなく橋の上で写真を撮るのも一苦労でしたからね。(^_^;)
1年で一番観光客のいないシーズンでこれだけですから、桜や紅葉等のピークの時なんかはとんでもない事になってそうですね。
嵐山に宿泊して早朝とかに行くべきなのかな?(゜Д゜) 夜の『渡月橋』も綺麗だろうし、今度通常の2~3泊程度の旅行をする時はそうしようかね。
嵐山にはもうちょっと景観が綺麗な時期にまた再訪したいですね。
さて、この旅行の数か月後に大雨で桂川が氾濫してしまって『渡月橋』が水没するという事故が起きてしまいました。
2013年にも台風の被害に見舞われましたし、自然と一体化している観光地の怖さをまざまざと見せつけられてしまいました。
本当に何事もなく無事に楽しい旅行を過ごせたのは本当にラッキーでしたし、今年は特に自然災害が目立つ年となっておりますが、皆様も旅行に行かれる際はご注意を。(前回と同じ締めだな)
『渡月橋』
交通アクセス・
阪急『嵐山駅』から徒歩10分
嵐電『嵐山駅』から徒歩3分
JR『嵯峨嵐山駅』から徒歩12分
バス『嵐山公園』から徒歩すぐ
HP・http://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=289&r=1537109969.5227
櫟谷宗像神社
~二柱の神様が桂川を守る~
『法輪寺(ほうりんじ)』を出て左へ進み、旅館が並ぶ一帯を抜けると『桂川(かつらがわ)』に出ます。
今日は天気も良いし舟下りなんかも気持ちよさそうですね。 (*´∀`*)
このちっちゃい橋を渡ってちょっと先に進むと渡月橋に出ますが、その前にこの船の乗り場の向い側にある『櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)』へお参りに行きます。
ちょっと階段を上った所に『櫟谷宗像神社』はありますが、鳥居があるから神社があるとは思うものの、どうしても『嵐山モンキーパーク』という看板の方が目についてしまいますよねw ⊂((◕ ˑ̫◕))⊃ウッキー
ほんで石段を上って、境内のすぐ左側に『嵐山モンキーパーク』の入口があります。
石段を上っている人が結構いたので、『櫟谷宗像神社』ってそんな隠れた人気スポットなのかな?と思ってしまいましたが、みんなお猿さんの客ばっかりで神社の方にはほとんど人がいませんでしたね。
『嵐山モンキーパーク』は約120頭のニホンザルが暮らしている山ですが、実は「トリップアドバイザー」の「外国人に人気の日本の観光スポット2014」で、堂々14位にランクインされたことがある程の人気スポットでした。 @( o・ェ・)@キキー
とは言え猿には特に興味はないし、それ以前にあんま一人で行くような所じゃないですからね。⊂((〃 ̄⊥ ̄〃))⊃ムキャ
ではメインの『櫟谷宗像神社』ですが、非常に狭い境内に「本殿」があるだけのちぃちゃな神社です。
祭神は宗像三女神(むなかたさんじょしん)の奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、奥津島姫命を祀る『櫟谷社』と市杵島姫命を祀る『宗像社』の2社が「本殿」に一緒に祀られています。(昔は祀っている神様が逆だった説あり)
元々はそれぞれ独立した神社で別々にあったようですが、いつから現在の様に1つにまとめられたのかは、調べてみたけどイマイチよぅ分かりませんでした。(・w・)
いつ出来たかも謎らしいですが、社伝によると668年から、国史だと848年に『櫟谷社』の名前が出てきていて、『宗像社』の方も870年には名前が出てきています。どちらもかなり古くからある神社なのは間違いないです。
入口にあった看板をよくよく見てみると、『櫟谷宗像神社』っていう長い名前の1つの神社ではなく、『櫟谷神社』と『宗像神社』の2つの神社が並列されていて、1つの境内に2つの神社が一緒にあるということなんですね。
残念ながら「社務所」が開いていなかったため御朱印はもらえませんでした。(滅多に開いてないらしい)2つの神社があるから御朱印も2枚あるのかな?って思ったらどうやらまとめて1枚になっている様です。
『櫟谷社』と『宗像社』は、それぞれ『松尾大社』の摂末社の「松尾七社」の1つに数えられ、残りの5社は『大宮社』、『四大神社』、『衣手社』、『三宮社』、『月読社』となります。
また『櫟谷社』の方は『松尾大社』、『月読神社』と共に「松尾三社」とも呼ばれているので、元々はもっと力のある神社だったのかもしれません。
祭神は海の神様、航海安全の神様の宗像三女神の二柱ですから、桂川の水運を守るために協力して頑張っているって感じですね。
もっともこのブログを書いている未来に桂川、渡月橋が氾濫するという大事故が起きてしまいますが、こうなったら残るもう一柱多岐都比売命(たぎつひめのみこと)の力を借りることとかは出来ないのでしょうか?
『櫟谷宗像神社』から観た『渡月橋』です。こうして長いこと見守り続けてきたのでしょうが、見守るだけの限界もありますし神様にとってはツラかったでしょうね。(´・ω・`)
あと『宗像神社』の祭神の市杵島姫命は弁財天とも言われています。平安時代に現在の造幣局にあたる鋳銭所があり、新しいお金は必ず奉納されていたため、以来金運のご利益もある神社となっています。
さっき行った『法輪寺』に牛、虎、羊がいて、弁財天と言えば使いの白蛇、そして猿とどんどん干支が揃ってきてますねw
猿山のついでにこちらの歴史ある神社にちょっとお参りとかいかがでしょうか。⊂((* ̄人 ̄*))⊃ウキャ
余談ですが、この旅は2018年の2月に行われております。けれどもし仕事を辞めるタイミングがずれていたら、多分「祇園祭」目当てと梅雨を避けるために7月に行っていた可能性が高かったと思うんですよね。
そうなりますと2018年の7月は記録的な大雨からの『渡月橋』の氾濫に、ただでさえ京都の夏は暑いのに、更に記録的な暑さに見舞われて散々だったというか、無事に帰ることが出来たのか?ってぞっとしますね。
観光旅行は基本楽しいものですが、ちょっとしたアクシデントやトラブルで一気に180度変わる危険も孕んでいます。
何事もなく無事に楽しい旅行を送れた事に、今更ながらに感謝します。
そして皆様くれぐれも事故には気を付けて楽しい旅行を。
『櫟谷宗像神社』
参拝時間・境内自由
祭神・奥津島姫命、市杵島姫命
ご利益・金運、縁結び
交通アクセス・
阪急『嵐山駅』から徒歩8分
嵐電『嵐山駅』から徒歩8分
JR『嵯峨嵐山駅』から徒歩16分
バス『嵐山公園』から徒歩3分
HP・https://kyotofukoh.jp/report395.html
『法輪寺(ほうりんじ)』を出て左へ進み、旅館が並ぶ一帯を抜けると『桂川(かつらがわ)』に出ます。
今日は天気も良いし舟下りなんかも気持ちよさそうですね。 (*´∀`*)
このちっちゃい橋を渡ってちょっと先に進むと渡月橋に出ますが、その前にこの船の乗り場の向い側にある『櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)』へお参りに行きます。
ちょっと階段を上った所に『櫟谷宗像神社』はありますが、鳥居があるから神社があるとは思うものの、どうしても『嵐山モンキーパーク』という看板の方が目についてしまいますよねw ⊂((◕ ˑ̫◕))⊃ウッキー
ほんで石段を上って、境内のすぐ左側に『嵐山モンキーパーク』の入口があります。
石段を上っている人が結構いたので、『櫟谷宗像神社』ってそんな隠れた人気スポットなのかな?と思ってしまいましたが、みんなお猿さんの客ばっかりで神社の方にはほとんど人がいませんでしたね。
『嵐山モンキーパーク』は約120頭のニホンザルが暮らしている山ですが、実は「トリップアドバイザー」の「外国人に人気の日本の観光スポット2014」で、堂々14位にランクインされたことがある程の人気スポットでした。 @( o・ェ・)@キキー
とは言え猿には特に興味はないし、それ以前にあんま一人で行くような所じゃないですからね。⊂((〃 ̄⊥ ̄〃))⊃ムキャ
ではメインの『櫟谷宗像神社』ですが、非常に狭い境内に「本殿」があるだけのちぃちゃな神社です。
祭神は宗像三女神(むなかたさんじょしん)の奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、奥津島姫命を祀る『櫟谷社』と市杵島姫命を祀る『宗像社』の2社が「本殿」に一緒に祀られています。(昔は祀っている神様が逆だった説あり)
元々はそれぞれ独立した神社で別々にあったようですが、いつから現在の様に1つにまとめられたのかは、調べてみたけどイマイチよぅ分かりませんでした。(・w・)
いつ出来たかも謎らしいですが、社伝によると668年から、国史だと848年に『櫟谷社』の名前が出てきていて、『宗像社』の方も870年には名前が出てきています。どちらもかなり古くからある神社なのは間違いないです。
入口にあった看板をよくよく見てみると、『櫟谷宗像神社』っていう長い名前の1つの神社ではなく、『櫟谷神社』と『宗像神社』の2つの神社が並列されていて、1つの境内に2つの神社が一緒にあるということなんですね。
残念ながら「社務所」が開いていなかったため御朱印はもらえませんでした。(滅多に開いてないらしい)2つの神社があるから御朱印も2枚あるのかな?って思ったらどうやらまとめて1枚になっている様です。
『櫟谷社』と『宗像社』は、それぞれ『松尾大社』の摂末社の「松尾七社」の1つに数えられ、残りの5社は『大宮社』、『四大神社』、『衣手社』、『三宮社』、『月読社』となります。
また『櫟谷社』の方は『松尾大社』、『月読神社』と共に「松尾三社」とも呼ばれているので、元々はもっと力のある神社だったのかもしれません。
祭神は海の神様、航海安全の神様の宗像三女神の二柱ですから、桂川の水運を守るために協力して頑張っているって感じですね。
もっともこのブログを書いている未来に桂川、渡月橋が氾濫するという大事故が起きてしまいますが、こうなったら残るもう一柱多岐都比売命(たぎつひめのみこと)の力を借りることとかは出来ないのでしょうか?
『櫟谷宗像神社』から観た『渡月橋』です。こうして長いこと見守り続けてきたのでしょうが、見守るだけの限界もありますし神様にとってはツラかったでしょうね。(´・ω・`)
あと『宗像神社』の祭神の市杵島姫命は弁財天とも言われています。平安時代に現在の造幣局にあたる鋳銭所があり、新しいお金は必ず奉納されていたため、以来金運のご利益もある神社となっています。
さっき行った『法輪寺』に牛、虎、羊がいて、弁財天と言えば使いの白蛇、そして猿とどんどん干支が揃ってきてますねw
猿山のついでにこちらの歴史ある神社にちょっとお参りとかいかがでしょうか。⊂((* ̄人 ̄*))⊃ウキャ
余談ですが、この旅は2018年の2月に行われております。けれどもし仕事を辞めるタイミングがずれていたら、多分「祇園祭」目当てと梅雨を避けるために7月に行っていた可能性が高かったと思うんですよね。
そうなりますと2018年の7月は記録的な大雨からの『渡月橋』の氾濫に、ただでさえ京都の夏は暑いのに、更に記録的な暑さに見舞われて散々だったというか、無事に帰ることが出来たのか?ってぞっとしますね。
観光旅行は基本楽しいものですが、ちょっとしたアクシデントやトラブルで一気に180度変わる危険も孕んでいます。
何事もなく無事に楽しい旅行を送れた事に、今更ながらに感謝します。
そして皆様くれぐれも事故には気を付けて楽しい旅行を。
『櫟谷宗像神社』
参拝時間・境内自由
祭神・奥津島姫命、市杵島姫命
ご利益・金運、縁結び
交通アクセス・
阪急『嵐山駅』から徒歩8分
嵐電『嵐山駅』から徒歩8分
JR『嵯峨嵐山駅』から徒歩16分
バス『嵐山公園』から徒歩3分
HP・https://kyotofukoh.jp/report395.html
電電宮
~エジソンとヘルツにお参り~
『法輪寺』のお参りも終わり階段を下りる途中、真ん中辺りの右側にちっちゃい神社があります。
ここは非常に珍しい電気と電波の神様電電明神(でんでんみょうじん)を祀っている『電電宮(でんでんぐう)』です。
『電電宮』は『法輪寺』の前身の『葛井寺(かづのいでら)』で道昌(どうしょう)が記憶力増進のため真言を100万遍唱える虚空蔵求聞持(こくぞうぐもんじ)を行った所、100日目に明星が降り注いで虚空菩薩が現れ、以後虚空菩薩像を本尊とするようになり、鎮守社として電電明神を祀る『明神社(みょうじょうしゃ)』を建てたのが始まりです。
ちなみにこの頃の”電”は”いなずま”を意味していたので、電電明神=雷神様を祀るということですので、特に変わった神社という訳ではありませんでした。
しかし『明神社』は1864年の「禁門の変」の時に長州藩の手によって『法輪寺』共々焼失してしまい、『法輪寺』の方は1884年に再建されましたが『明星社』の方はしばらく忘れられた存在となりました。
その後1950年代、戦後復興の進む日本では各地で電力不足に陥ったり、また民間放送局が次々と開業しながら軌道に乗れない状況下の中、電気電波関係業界の発展を祈願するために、かつてこの地にあった電電明神を祀る『明星社』に目を付け、1956年に復活となりました。
『明星社』がどーの、地理的にどーの、という訳ではなく、完全に”電電”という名前ありきだったんですね。
この時点ではまだ社殿も仮宮のままでしたが、1969年の大阪万博の時に社殿が再建され、名称も『電電宮』に改称されました。
以後は電気、電波関係者の他にIT業界からも信仰を集める様になっています。
電気と電波の神様というと変な感じがしますが、謂れが分かるとちゃんと納得できますね。
山門入ってすぐ右手に、電電塔と一緒に電気のエジソン、電波のヘルツの肖像が掲げられています。
実在する人物を祭神とする神社も普通にあるので、エジソンやヘルツにペレやカール・ゴッチを祀る神社もありっちゃありなんですよねw
ちなみに『法輪寺』の「寺務所」では「SDカードのお守り」という変わった物も交付しています。興味のある方はぜひに。
『電電宮』
開門時間・9:00~17:00
祭神・電電明神
ご利益・電気電波関連事業の発展と無事故安全
交通アクセス・
阪急『嵐山駅』から徒歩5分
嵐電『嵐山駅』から徒歩10分
JR『嵯峨嵐山駅』から徒歩17分
バス『嵐山公園』から徒歩3分
バス『嵐山駅前』から徒歩5分
HP・http://www.kokuzohourinji.com/dendengu.html
『法輪寺』のお参りも終わり階段を下りる途中、真ん中辺りの右側にちっちゃい神社があります。
ここは非常に珍しい電気と電波の神様電電明神(でんでんみょうじん)を祀っている『電電宮(でんでんぐう)』です。
『電電宮』は『法輪寺』の前身の『葛井寺(かづのいでら)』で道昌(どうしょう)が記憶力増進のため真言を100万遍唱える虚空蔵求聞持(こくぞうぐもんじ)を行った所、100日目に明星が降り注いで虚空菩薩が現れ、以後虚空菩薩像を本尊とするようになり、鎮守社として電電明神を祀る『明神社(みょうじょうしゃ)』を建てたのが始まりです。
ちなみにこの頃の”電”は”いなずま”を意味していたので、電電明神=雷神様を祀るということですので、特に変わった神社という訳ではありませんでした。
しかし『明神社』は1864年の「禁門の変」の時に長州藩の手によって『法輪寺』共々焼失してしまい、『法輪寺』の方は1884年に再建されましたが『明星社』の方はしばらく忘れられた存在となりました。
その後1950年代、戦後復興の進む日本では各地で電力不足に陥ったり、また民間放送局が次々と開業しながら軌道に乗れない状況下の中、電気電波関係業界の発展を祈願するために、かつてこの地にあった電電明神を祀る『明星社』に目を付け、1956年に復活となりました。
『明星社』がどーの、地理的にどーの、という訳ではなく、完全に”電電”という名前ありきだったんですね。
この時点ではまだ社殿も仮宮のままでしたが、1969年の大阪万博の時に社殿が再建され、名称も『電電宮』に改称されました。
以後は電気、電波関係者の他にIT業界からも信仰を集める様になっています。
電気と電波の神様というと変な感じがしますが、謂れが分かるとちゃんと納得できますね。
山門入ってすぐ右手に、電電塔と一緒に電気のエジソン、電波のヘルツの肖像が掲げられています。
実在する人物を祭神とする神社も普通にあるので、エジソンやヘルツにペレやカール・ゴッチを祀る神社もありっちゃありなんですよねw
ちなみに『法輪寺』の「寺務所」では「SDカードのお守り」という変わった物も交付しています。興味のある方はぜひに。
『電電宮』
開門時間・9:00~17:00
祭神・電電明神
ご利益・電気電波関連事業の発展と無事故安全
交通アクセス・
阪急『嵐山駅』から徒歩5分
嵐電『嵐山駅』から徒歩10分
JR『嵯峨嵐山駅』から徒歩17分
バス『嵐山公園』から徒歩3分
バス『嵐山駅前』から徒歩5分
HP・http://www.kokuzohourinji.com/dendengu.html
法輪寺
~大人の階段のーぼるー~
阪急嵐山線終点『嵐山』駅に到着!
待望の嵐山に初上陸です。ヾ(*´∀`*)ノ
人気スポットだからかすっごい観光客の数です。土曜日だから更に混んでるとかあるのかな?(・ω・)
『嵐山駅』を出てそのまままっすぐ行けば桂川に出ますが、まずは駅の左側の道を進みます。
狭い道にひっきりなしに車が通ってちょっと危ないですが、歩いて5分位の所にある『法輪寺(ほうりんじ)』に来ました。
『法輪寺』も歴史の古いお寺で、713年に行基(ぎょうき)が『葛井寺(かづのいでら)』として建立したのが始まりです。
その後829年に空海の弟子の道昌(どうしょう)が虚空菩薩像を安置し、868年に『法輪寺』となりました。
ちなみに『法輪寺』の虚空菩薩像は日本三大虚空蔵の一つに数えられていて、あと残りですが。。。
・福島県会津柳津の『円蔵寺』
・三重県伊勢朝熊山の『金剛證寺』
・茨城県東海村の『日高寺』
・千葉県鴨川の『清澄寺』
こんな感じですが、三大っていくつあるねん。
会津柳津の『円蔵寺』だけが確定で、あとの二つに関しては何かてんでバラバラでどれが正式な三大だかはよぅ分からんのですね。
『円蔵寺』は10年以上前に行ったけどなつかしいねー( ̄  ̄*)
『法輪寺』の虚空菩薩は、「嵯峨の虚空蔵さん」と呼ばれ地元の人に親しまれ、3月13日から5月13日(4月13日の前後1ヶ月間)に掛けて「十三詣り(じゅうさんまいり)』が行われ、数え年で13歳の子がお参りにきています。時期的には小学校の卒業&中学校の入学祝いって要素もあるかもですね。
虚空菩薩が知恵の菩薩と言われていて、「十三詣り」で知恵を授かりに行くことから「知恵詣り」とも言われていて、お詣りが済んだ後の帰り道に、『渡月橋』を渡るまでに後ろを振り返ると知恵が本堂に帰ってしまうという言い伝えもあります。
そんな歴史のあるお寺ですが「徒然草」、「今昔物語集」、「枕草子」、「平家物語」など多くの古典にその名前が出てきて、特に「枕草子」では「寺は壺坂、衣笠、法輪」と言われる程です。
では『法輪寺』に伺いますが、中々ハードな石段ですね(-_-;)
ひーこら言いながら上って、無事に境内に到着です。嵐山を借景として良い感じの画です。
何か境内はさっぱりとしていて、実際の敷地面積よりも広い感じがします。
ここの展望台から見下ろす『渡月橋』の景観が有名なのですが、残念ながら展望できるエリアが立ち入り禁止になっていました。 (´・ω・`)
梅も有名ですが、まだ咲き始めたばっかりですね。
『法輪寺』はこの「多宝塔」も有名です。物そのものというよりは、『渡月橋』とか遠くから嵐山を観た時にこの「多宝塔」がひょっこり顔を出す感じが良いアクセントになっているようです。
しかし今回『渡月橋』周辺の写真いっぱい撮っているのに、嵐山に向けて撮った写真が1枚も無いとは。。。(-_-;)
『法輪寺』では毎年2月8日と12月8日に『針供養』が行われます。コンニャクに刺して今まで働いてくれてありがとうゆっくり休んでねと労います。
これは平安時代に清和天皇が「針供養の堂」を建立してから行われている由緒正しき行事で、今でも12月8日の方では皇室からお預かりした針を供養しています。
珍しい「狛丑」と「狛寅」。
丑年、寅年生まれの守り本尊としての信仰も集めています。
さらに「狛羊」。虚空菩薩の使いとも、羊に姿を変えた虚空菩薩とも言われ、頭を撫でると知恵を授かるご利益があります。
「寺務所」は普通に開いていたけれど、御朱印について触れていなかったのでそのまま立ち去ってしまいましたが、普通にもらえたみたいです。
(´・ω・`)
旅も5日目になりますが、気にせずとりあえず御朱印あるか聞いてみる様になるのはもうちょい先ですね。
『法輪寺』
開門時間・9:00~17:00
宗派・真言宗五智教団
御利益・裁縫・服飾・芸術など技芸の上達、丑年、寅年
交通アクセス・
阪急『嵐山駅』から徒歩5分
嵐電『嵐山駅』から徒歩10分
JR『嵯峨嵐山駅』から徒歩17分
バス『嵐山公園』から徒歩3分
バス『嵐山駅前』から徒歩5分
HP・http://www.kokuzohourinji.com/
阪急嵐山線終点『嵐山』駅に到着!
待望の嵐山に初上陸です。ヾ(*´∀`*)ノ
人気スポットだからかすっごい観光客の数です。土曜日だから更に混んでるとかあるのかな?(・ω・)
『嵐山駅』を出てそのまままっすぐ行けば桂川に出ますが、まずは駅の左側の道を進みます。
狭い道にひっきりなしに車が通ってちょっと危ないですが、歩いて5分位の所にある『法輪寺(ほうりんじ)』に来ました。
『法輪寺』も歴史の古いお寺で、713年に行基(ぎょうき)が『葛井寺(かづのいでら)』として建立したのが始まりです。
その後829年に空海の弟子の道昌(どうしょう)が虚空菩薩像を安置し、868年に『法輪寺』となりました。
ちなみに『法輪寺』の虚空菩薩像は日本三大虚空蔵の一つに数えられていて、あと残りですが。。。
・福島県会津柳津の『円蔵寺』
・三重県伊勢朝熊山の『金剛證寺』
・茨城県東海村の『日高寺』
・千葉県鴨川の『清澄寺』
こんな感じですが、三大っていくつあるねん。
会津柳津の『円蔵寺』だけが確定で、あとの二つに関しては何かてんでバラバラでどれが正式な三大だかはよぅ分からんのですね。
『円蔵寺』は10年以上前に行ったけどなつかしいねー( ̄  ̄*)
『法輪寺』の虚空菩薩は、「嵯峨の虚空蔵さん」と呼ばれ地元の人に親しまれ、3月13日から5月13日(4月13日の前後1ヶ月間)に掛けて「十三詣り(じゅうさんまいり)』が行われ、数え年で13歳の子がお参りにきています。時期的には小学校の卒業&中学校の入学祝いって要素もあるかもですね。
虚空菩薩が知恵の菩薩と言われていて、「十三詣り」で知恵を授かりに行くことから「知恵詣り」とも言われていて、お詣りが済んだ後の帰り道に、『渡月橋』を渡るまでに後ろを振り返ると知恵が本堂に帰ってしまうという言い伝えもあります。
そんな歴史のあるお寺ですが「徒然草」、「今昔物語集」、「枕草子」、「平家物語」など多くの古典にその名前が出てきて、特に「枕草子」では「寺は壺坂、衣笠、法輪」と言われる程です。
では『法輪寺』に伺いますが、中々ハードな石段ですね(-_-;)
ひーこら言いながら上って、無事に境内に到着です。嵐山を借景として良い感じの画です。
何か境内はさっぱりとしていて、実際の敷地面積よりも広い感じがします。
ここの展望台から見下ろす『渡月橋』の景観が有名なのですが、残念ながら展望できるエリアが立ち入り禁止になっていました。 (´・ω・`)
梅も有名ですが、まだ咲き始めたばっかりですね。
『法輪寺』はこの「多宝塔」も有名です。物そのものというよりは、『渡月橋』とか遠くから嵐山を観た時にこの「多宝塔」がひょっこり顔を出す感じが良いアクセントになっているようです。
しかし今回『渡月橋』周辺の写真いっぱい撮っているのに、嵐山に向けて撮った写真が1枚も無いとは。。。(-_-;)
『法輪寺』では毎年2月8日と12月8日に『針供養』が行われます。コンニャクに刺して今まで働いてくれてありがとうゆっくり休んでねと労います。
これは平安時代に清和天皇が「針供養の堂」を建立してから行われている由緒正しき行事で、今でも12月8日の方では皇室からお預かりした針を供養しています。
珍しい「狛丑」と「狛寅」。
丑年、寅年生まれの守り本尊としての信仰も集めています。
さらに「狛羊」。虚空菩薩の使いとも、羊に姿を変えた虚空菩薩とも言われ、頭を撫でると知恵を授かるご利益があります。
「寺務所」は普通に開いていたけれど、御朱印について触れていなかったのでそのまま立ち去ってしまいましたが、普通にもらえたみたいです。
(´・ω・`)
旅も5日目になりますが、気にせずとりあえず御朱印あるか聞いてみる様になるのはもうちょい先ですね。
『法輪寺』
開門時間・9:00~17:00
宗派・真言宗五智教団
御利益・裁縫・服飾・芸術など技芸の上達、丑年、寅年
交通アクセス・
阪急『嵐山駅』から徒歩5分
嵐電『嵐山駅』から徒歩10分
JR『嵯峨嵐山駅』から徒歩17分
バス『嵐山公園』から徒歩3分
バス『嵐山駅前』から徒歩5分
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月読神社
~ひっそり隠れた月の神様に安産祈願~
『松尾大社』を出て右へ進み、普通の住宅街を抜けて約8分の所に、『松尾大社』の境外摂社『月読神社(つきよみじんじゃ)』があります。
『月読神社』の祭神はそのまま月読命(つくよみのみこと)で、伊弉諾神(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻ってきて禊をして出来た三人の子供・通称三貴子(みはしらのうずのみこ)の1人で、姉が天照大神(あまてらすおおみかみ)、弟が素戔嗚尊(すさのおのみこと)という日本の神様の中の超VIPです。
また姉の天照大神が太陽神であるのに対して、月読命はまぁこれも名前通りですが月の神様になります。
それだけの重要な神様でありながら、姉弟の2人と比べてあまりエピソードも無ければ、祀っている神社も『伊勢神宮』の内宮の『月読宮(つきよみのみや)』とか山形県の出羽三山の『月山神社(がっさんじんじゃ)』くらいしかパッと浮かばないだけに、そのものズバリの『月読神社』ってのは中々に凄いな~と思いますね。
それも前回の記事で書いたような最重要神社でもある『松尾大社』の境外摂社ですからねえ。ここも結構重要な神社だったんじゃ?と想像してしまいますが、実際『月読神社』の始まりは487年と言われていて、日本最古の神社と言われている『松尾大社』が出来た701年よりも遥か昔です。
あくまで月読命を桂川近くの祠なんかで祀っていただけで、現在地にデーン!と構える様になったのが『松尾大社』から遅れて856年のことになります。
そんな『月読神社』が『松尾大社』の摂社になったのは1877年(明治10年)ですが、代々禰宜(ねぎ)を世襲していた松室氏(まつむろし)が秦氏の支配を受けて『松尾大社』に奉仕していたのでそのつながりですかね。
それまでは独立した神社として正二位の神階を授かったり、名神大社に列するなど重要な神社という位置づけではあったようですが、その一方ですぐ近くにある『松尾大社』の陰に隠れる形にはなっていたようです。
さてそんな歴史ある神社にいよいよ入りますが、「楼門」は歴史を感じさせる立派な造りで期待が高まります。(0゚・∀・) ワクワク
んッ!?思いの外、境内は狭いぞ。
これが「本殿」ちっちゃ!
まぁそう思ってしまうのは『月読神社』について調べた後だからであって、ここの歴史的背景を踏まえるともう少し大きな規模のものを想像しがちですが、実際この時思ったのは鳥居や楼門が立派なわりにはこじんまりとした神社だな、くらいの印象でした。
でも個人的にはこの山に囲まれた静かな感じが結構心地よく、神社を出るとすぐ住宅地というのが不思議なくらいの別世界感があって、近所に住んでいたら毎日散歩に訪れてぼ~っとしていたい感じの所です。
何か宮崎アニメとかに出てきそうな雰囲気もあって、さっき行った『松尾大社』も良かったですが、こっちの方がより好きな神社ですね。
このひっそりと隠れている感じが、まさに月の神様月読命の神社って感じなんですよね。(*´∀`*)
『月読神社』の境内は狭いながらも色々と興味深いものがありまして。
「願掛け陰陽石(がんかけいんようせき)」左右の石を撫でて祈願すると、願いが叶うと言われています。
「解穢の池(かいわいのいけ)」とそこから流れる「解穢の水」、読んで字の如く穢れを解く霊水ですが、あくまで手水用なので飲むことは出来ません。
『月読神社』で一番有名なのが、この三本の木が寄り添いあってる「むすびの木」と通称”安産石”こと「月延石(つきのべいし)」です。
神宮皇后(じんぐうこうごう)が応神天皇(おうじんてんのう)を産む際に、この石で腹を撫でたことによって安産したことから、安産の神、妊婦の守護神などと言われています。
石は社務所で頂いたものが奉納されていますが、「元気な赤ちゃんが生まれますように」とのお母さんたちの願いがそれぞれ記されています。
「むすびの木」もお父さんとお母さんと子供が寄り添いあってるのかな?って思うと中々ぐっときますね。(`;ω;´) b
ここから更に約10分の所に、通称『鈴虫寺』こと『華厳寺(けごんじ)』があってそこまで足を延ばすか迷いましたが、あくまで今日は嵐山がメインなのでひとまずここまでにしておきました。
『華厳寺』の更に先には通称『苔寺』こと『西芳寺(さいほうじ)』という今回トップクラスに行きたかった所があって、そこは事前予約制だから今回は無理なため、『華厳寺』は改めて『西芳寺』に来た時に一緒に回ろうと思いました。
ただ結果的に今回の旅で『西芳寺』には行けてないんですね。(´・ω・`)
理由は色々とありますがその中の一つに、この日中途半端に『西芳寺』周辺を観てしまったため、セットで回れる所があまり無くなってしまったというのもあります。
『西芳寺』の比較的近くに『桂離宮(かつらりきゅう)』があるのでここをセットで観れればまだ良かったのですが、ここも事前予約制で残念ながら定員オーバーで今回の旅では行くことが出来ませんでした。
早い話が行き当たりばったりの旅の弊害がいきなり出てしまった感じです。(--;)
変に『松尾大社』なんかに寄らないで今日は完全に嵐山観光に専念しておいて、後日改めて『松尾大社』周辺の観光をするべきでした。
しかも『松尾大社』の時に書いたように、何故かこの後『梅宮大社』をスルーして『月読神社』の後でいきなり嵐山に行ってしまいましたし、この日の自分の行動は謎いですね。(^^;)
まぁ今度2~4泊程度の京都旅行をすることがあったら、間違いなく『桂離宮』→『西芳寺』→『松尾大社』→『梅宮大社』+αというルートの観光をすると思います。
<『月読神社』の御朱印>
※貼るタイプの御朱印を頂きました。
『月読神社』
開門時間・9:00~17:00
祭神・月読命
御利益・安産守護、子授け、縁結び、航海安全、五穀豊穣
交通アクセス・
阪急『松尾大社駅』から徒歩6分
バス『松尾大社前』から徒歩6分
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『松尾大社』を出て右へ進み、普通の住宅街を抜けて約8分の所に、『松尾大社』の境外摂社『月読神社(つきよみじんじゃ)』があります。
『月読神社』の祭神はそのまま月読命(つくよみのみこと)で、伊弉諾神(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻ってきて禊をして出来た三人の子供・通称三貴子(みはしらのうずのみこ)の1人で、姉が天照大神(あまてらすおおみかみ)、弟が素戔嗚尊(すさのおのみこと)という日本の神様の中の超VIPです。
また姉の天照大神が太陽神であるのに対して、月読命はまぁこれも名前通りですが月の神様になります。
それだけの重要な神様でありながら、姉弟の2人と比べてあまりエピソードも無ければ、祀っている神社も『伊勢神宮』の内宮の『月読宮(つきよみのみや)』とか山形県の出羽三山の『月山神社(がっさんじんじゃ)』くらいしかパッと浮かばないだけに、そのものズバリの『月読神社』ってのは中々に凄いな~と思いますね。
それも前回の記事で書いたような最重要神社でもある『松尾大社』の境外摂社ですからねえ。ここも結構重要な神社だったんじゃ?と想像してしまいますが、実際『月読神社』の始まりは487年と言われていて、日本最古の神社と言われている『松尾大社』が出来た701年よりも遥か昔です。
あくまで月読命を桂川近くの祠なんかで祀っていただけで、現在地にデーン!と構える様になったのが『松尾大社』から遅れて856年のことになります。
そんな『月読神社』が『松尾大社』の摂社になったのは1877年(明治10年)ですが、代々禰宜(ねぎ)を世襲していた松室氏(まつむろし)が秦氏の支配を受けて『松尾大社』に奉仕していたのでそのつながりですかね。
それまでは独立した神社として正二位の神階を授かったり、名神大社に列するなど重要な神社という位置づけではあったようですが、その一方ですぐ近くにある『松尾大社』の陰に隠れる形にはなっていたようです。
さてそんな歴史ある神社にいよいよ入りますが、「楼門」は歴史を感じさせる立派な造りで期待が高まります。(0゚・∀・) ワクワク
んッ!?思いの外、境内は狭いぞ。
これが「本殿」ちっちゃ!
まぁそう思ってしまうのは『月読神社』について調べた後だからであって、ここの歴史的背景を踏まえるともう少し大きな規模のものを想像しがちですが、実際この時思ったのは鳥居や楼門が立派なわりにはこじんまりとした神社だな、くらいの印象でした。
でも個人的にはこの山に囲まれた静かな感じが結構心地よく、神社を出るとすぐ住宅地というのが不思議なくらいの別世界感があって、近所に住んでいたら毎日散歩に訪れてぼ~っとしていたい感じの所です。
何か宮崎アニメとかに出てきそうな雰囲気もあって、さっき行った『松尾大社』も良かったですが、こっちの方がより好きな神社ですね。
このひっそりと隠れている感じが、まさに月の神様月読命の神社って感じなんですよね。(*´∀`*)
『月読神社』の境内は狭いながらも色々と興味深いものがありまして。
こちらは「舞殿」ではなく「祈祷殿」です。
こちらは月読命を崇敬していた聖徳太子の霊を祀った「聖徳太子社」だそうです。
聖徳太子の側近に秦河勝(はたのかわかつ)という秦氏の人がいたから、そのつながりで聖徳太子が祀られているというのは何となく分かるのですが、聖徳太子と月読命の関係ってのが聞いたことが無いというか、何か不思議な感じがします。(´・~・`)
月読も聖徳太子もどっちも謎が多いとか、表舞台にあまり姿を見せないとか、何か似てる感じはしますけどね。(・3・)
こちらは「御船社(おふねしゃ)」。『月読神社』と『松尾大社』の末社に属していて、祭神に天鳥舟命(あめのとりふねのみこと)を祀っています。
天鳥舟命は水上交通の守護神でイザナギ、イザナミの子供なので、月読命の兄or姉に当たる神様ですね。
『松尾大社』で毎年10月3日に行われる「神幸祭(しんこうさい)」の時には、ここで渡御の安全祈願祭が行われます。
こちらは月読命を崇敬していた聖徳太子の霊を祀った「聖徳太子社」だそうです。
聖徳太子の側近に秦河勝(はたのかわかつ)という秦氏の人がいたから、そのつながりで聖徳太子が祀られているというのは何となく分かるのですが、聖徳太子と月読命の関係ってのが聞いたことが無いというか、何か不思議な感じがします。(´・~・`)
月読も聖徳太子もどっちも謎が多いとか、表舞台にあまり姿を見せないとか、何か似てる感じはしますけどね。(・3・)
こちらは「御船社(おふねしゃ)」。『月読神社』と『松尾大社』の末社に属していて、祭神に天鳥舟命(あめのとりふねのみこと)を祀っています。
天鳥舟命は水上交通の守護神でイザナギ、イザナミの子供なので、月読命の兄or姉に当たる神様ですね。
『松尾大社』で毎年10月3日に行われる「神幸祭(しんこうさい)」の時には、ここで渡御の安全祈願祭が行われます。
「願掛け陰陽石(がんかけいんようせき)」左右の石を撫でて祈願すると、願いが叶うと言われています。
「解穢の池(かいわいのいけ)」とそこから流れる「解穢の水」、読んで字の如く穢れを解く霊水ですが、あくまで手水用なので飲むことは出来ません。
『月読神社』で一番有名なのが、この三本の木が寄り添いあってる「むすびの木」と通称”安産石”こと「月延石(つきのべいし)」です。
神宮皇后(じんぐうこうごう)が応神天皇(おうじんてんのう)を産む際に、この石で腹を撫でたことによって安産したことから、安産の神、妊婦の守護神などと言われています。
石は社務所で頂いたものが奉納されていますが、「元気な赤ちゃんが生まれますように」とのお母さんたちの願いがそれぞれ記されています。
「むすびの木」もお父さんとお母さんと子供が寄り添いあってるのかな?って思うと中々ぐっときますね。(`;ω;´) b
ここから更に約10分の所に、通称『鈴虫寺』こと『華厳寺(けごんじ)』があってそこまで足を延ばすか迷いましたが、あくまで今日は嵐山がメインなのでひとまずここまでにしておきました。
『華厳寺』の更に先には通称『苔寺』こと『西芳寺(さいほうじ)』という今回トップクラスに行きたかった所があって、そこは事前予約制だから今回は無理なため、『華厳寺』は改めて『西芳寺』に来た時に一緒に回ろうと思いました。
ただ結果的に今回の旅で『西芳寺』には行けてないんですね。(´・ω・`)
理由は色々とありますがその中の一つに、この日中途半端に『西芳寺』周辺を観てしまったため、セットで回れる所があまり無くなってしまったというのもあります。
『西芳寺』の比較的近くに『桂離宮(かつらりきゅう)』があるのでここをセットで観れればまだ良かったのですが、ここも事前予約制で残念ながら定員オーバーで今回の旅では行くことが出来ませんでした。
早い話が行き当たりばったりの旅の弊害がいきなり出てしまった感じです。(--;)
変に『松尾大社』なんかに寄らないで今日は完全に嵐山観光に専念しておいて、後日改めて『松尾大社』周辺の観光をするべきでした。
しかも『松尾大社』の時に書いたように、何故かこの後『梅宮大社』をスルーして『月読神社』の後でいきなり嵐山に行ってしまいましたし、この日の自分の行動は謎いですね。(^^;)
<『月読神社』の御朱印>
※貼るタイプの御朱印を頂きました。
『月読神社』
開門時間・9:00~17:00
祭神・月読命
御利益・安産守護、子授け、縁結び、航海安全、五穀豊穣
交通アクセス・
阪急『松尾大社駅』から徒歩6分
バス『松尾大社前』から徒歩6分
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