2018年2月24日土曜日

松尾大社

~松尾様にかんぱーい!~

京都旅行5日目です。٩(ˊᗜˋ*)و

以前京都に2~3日程度の小旅行をすることがあったら、絶対にここに行こうと考えていたのが嵐山(あらしやま)でした。

ということで今回は念願の嵐山周辺の観光をすることにしました。







『烏丸駅』から阪急京都線に乗り、『桂駅』阪急嵐山線に乗り換えます。そのまま終点まで乗れば『嵐山駅』に行きますが、まずはその1つ前の『松尾大社駅』で降ります。





駅を降りるとすぐにでっかい鳥居。駅名にもあります『松尾大社(まつのおたいしゃ)を参拝します。


ちなみに駅名は『まつおたいしゃ』と読みますが、神社の正式名称は『まつのおたいしゃ』と読みます。

もっとも神社の人が、別に『まつおたいしゃ』と読んでも構わない『にっぽん』と『にほん』の違いの様なものと言っているので、大らかというか良い意味でいい加減な所は実に日本的ですね^^

別に「アーク・エネミー」だろうが、「ア-チ・エネミー」だろうがどっちでも良いんですよね(なんの話や)。







参道は短く、駅からすぐに『松尾大社』に着きます。





『松尾大社』は京都最古の神社と言われている歴史ある神社です。

元々は『松尾大社』の後ろにそびえる松尾山頂にある岩が、周辺住民に神の鎮座する磐座(いわくら)として信仰されていました。

701年に渡来人の秦氏(はたうじ)松尾山の麓、現在地に社殿を構え松尾山の神霊を氏神としたのが『松尾大社』の始まりです。


その後秦氏は河川を整備して農産林業を興して発展して力を付けていき、平安時代以降朝廷に対する発言力も増していきました。

奈良から長岡京平安京へと都を遷す時も秦氏の富と力によるものとされ、766年に正一位の神階を授けられ、東の『賀茂神社』と共に「東の厳神(げんしん)西の猛霊(もうれい)と並び称され、皇城鎮護の社とされるようになりました。


その後、社格を表す「二十二社の制」が立てられた時には、『松尾大社』は堂々第四位に記されました。


ちなみに「二十二社」は以下の様になっています。


<上七社>

一位・伊勢神宮(三重)
二位・石清水八幡宮(京都)
三位・賀茂神社(京都)
四位・松尾大社(京都)
五位・平野神社(京都)
六位・伏見稲荷大社(京都)
七位・春日大社(奈良)

<中七社>

八位・大原野神社(京都)
九位・大神神社(奈良)
十位・石上神宮(奈良)
十一位・大和神社(奈良)
十二位・廣瀬大社(奈良)
十三位・龍田大社(奈良)
十四位・住吉大社(大阪)

<下八社>
十五位・日吉大社(滋賀)
十六位・梅宮大社(京都)
十七位・吉田神社(京都)
十八位・廣田神社(兵庫)
十九位・八坂神社(京都)
二十位・北野天満宮(京都)
二十一位・丹生川上神社(奈良)
二十二位・貴船神社(京都)


結構意外な名前が入っていてちょっとびっくりしていますが、まぁ確かに思い返せば何となく納得するだけのものはあった気がします。


都から遠い神社は外れていますが、京都からは11社選ばれていて、今回の旅行では京都の9社+滋賀の『日吉大社』に行ってますね。

『伏見稲荷大社』『八坂神社』には既に行っていて、残りの8社については実際に行った時の記事で書いていくとして、今回行っていない2社についてですが。。。


『石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は『伊勢神宮』に次ぐ2位って、そんな凄い所だったんですね。今回行かなかったのは場所が大阪に近い所にあるというのもありますが、伏見周辺を回る時に一緒に行く計画は立てていたので、あと1日あったらおそらく行ってましたね。

あともう1つは『梅宮大社(うめのみやたいしゃ)ですが、『松尾大社駅』の反対側にあるんですよね。。。なんでこの時行ってないんだろう?(-_-;)
まだ梅はそれ程咲いていなかったとは思いますが、一緒に行っておけばいいのに何をやってんでしょうね、こん時のおいらは?



それはさておきこんな感じに凄い神社な『松尾大社』ですが、この時は何~も知らんと行ってます。







しかしここも松尾山を借景とした歴史を感じさせる趣きのある神社で、やっぱりこういう感じの神社が好きですね~。(´∀`)






ただし石畳の工事が行われていて、交通規制されていたり見栄えが悪い所があったのはちょっと残念でした。(´・ω・) 



ちなみに写真は無いですが、『松尾大社』『本殿』の屋根は側面から見ると前後同じ長さに流れている「松尾造」という独特な形になっています。





『松尾大社』と言えば、この五段に積み重なった酒樽が有名な様に「日本第一酒造神」として仰がれています。日本中の酒蔵から松尾様などと呼ばれ親しまれていて、まるで日本のバッカスの様な側面もあります。


『松尾大社』がお酒の神様と呼ばれる様になった由来は諸説あるようで、いつから呼ばれる様になったかもハッキリとはしていない様ですが、少なくとも室町時代の頃にはそう呼ばれる様になっていたようです。

由来の説としては、秦氏が醸造技術が優れていた説、江戸に上方のお酒を流通する際に『松尾大社』の境内に蔵元が集まって値段を決めていた説なんかがありますが、ちょっと気になる存在としては秦氏隆盛の礎となった秦酒公(はたのさけのきみ)という存在ですね。

秦酒公『松尾大社』が出来るよりも遥か前の人物ですが(聖徳太子よりも過去の人だからね~)、神社を建てた一族のルーツ的存在に酒の名が入っているというのが何か関係があるような無いような。

ちなみに秦酒公が現在の京都に関係している事でハッキリとしている事もありまして、『松尾大社』の近くに時代劇の撮影所なんかで有名な太秦(うずまさ)がありますが、この太秦というちょっと変わった名前は秦酒公から取られていたりします。さすがに脱線しているので、こちらの詳しい話は太秦に行った時に書こうと思います。(・∀・)






神社の裏手に『亀の井
(かめのい)という霊泉と呼ばれている水がありまして、「この水を仕込み水に入れると酒が腐らない」と言う伝説があり、今も醸造家はこの水を持ち帰って利用しているとのことです。






「亀の井」の奥にあるのが、近年パワースポットとしても人気な「霊亀の滝(れいきのたき)です。

社務所の裏に流れている渓流を御手洗川(みたらしがわ)と呼び、そこから流れているこの滝は「四時涸れることのない」と言われていて、HPの写真は結構な水量が伺えるのですが、残念ながらこの日はちょろちょろとしか流れていませんでした。(´・ω・) 





ちなみに上の「霊亀の滝」のアップの写真ですが、真ん中の黒い所が滝で、その左側の緑が生い茂っている更に左の岩場が天狗の顔に見えることから「天狗岩(てんぐいわと呼ばれてるんだけど分かるかなー。

緑が生い茂っている所をちりちりパーマと見立てて、その横に睨んでいる感じの目があって、その先にみょ~んって伸びてる長い鼻が天狗の鼻っぽくなっていて、その下が半開きの口になってる様に見える感じて、左向きの横顔の天狗の顔に見えませんか?



「亀の井」「霊亀の滝」を始め『松尾大社』では、亀が神様のお使いとして珍重されています。



ご覧の様に手水も亀になっています。





不老長寿の御利益がある「幸運の撫で亀」です。


また亀の他にも鯉も神の使いとされていて、大神様がこの地を拓くため保津川を遡られる時、急流は鯉のようにスイスイと、緩やかな流れは亀の背に乗ってゆっくりと進まれたと伝えられています。






と言うことでこちらは「幸運の双鯉」で、出世開運、恋愛成就の御利益があります。






その近くでは亀と鯉が一緒になって祀られています。




他にも色々と縁起物がありまして。





こちらは椋の霊樹
(むくのれいじゅ)という樹齢800年を数える名木でしたが、残念ながら平成5年に切り倒され幹だけを祀る形になっています。





こちらは「相生の松(あいおいのまつ)で、樹齢350年の雄松雌松でしたが、こちらも昭和31、32年にそれぞれ寿命が来てしまいました。

しかし後に「夫婦和合恋愛成就の象徴」として祀られることになりました。





こちらは「歯固め石納所」です。樽の中に歯固め石を納めて赤ちゃんに丈夫な歯が生えるようにとお願いをします。





こちらは「樽占い」です。樽の中に矢を放って当たった場所によって頂ける物が変わってきます。



以上の境内は自由に散策出来ますが、拝観料500円を払うと21体の御神像が展示されている『神像館(しんぞうかんと3つの庭園からなる『松風苑(しょうふうえんを見学することが出来ます。







こちらは『松風苑』の庭園の一つ「曲水の庭(きょくすいのにわ)で、華やかだった平安時代の貴族のお遊び「曲水の宴(きょくすいのうたげ)の雰囲気を表現しています。

綺麗に刈り込まれたサツキとそびえる立石に、優雅に流れている曲水と緑泥片岩(りょくでいへんがん)という青石で敷き詰められて造られた州浜(すはま)とシンプルな構成でありながら、見る角度によって全然違った顔を見せます。


上の最後の写真の奥にあるのが「神像館」で、現在『松尾大社』に所蔵されている木像21体が展示されています。



その中でもメインの三体の坐像は、老年の男神像が祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)、女神像が同じく祭神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、壮年の男神像が近所にある摂社『月読神社』の祭神月読命(つくよみのみこと)と言われています。

この三体は平安時代の作で、現存する物では日本最古の神像と言われています。状態も良く、シンプルな作りですが三体とも実に良い表情をしています。(`・_・´)(`・ω・´)(´・_・`) 



それ以外の十八体の神像は、平安~鎌倉時代に作られた歴史ある物だけあって、状態の良い物もあれば、ほとんど朽ちてしまっていて原型を留めていないものまであります。ただこれはこれで歴史を感じさせてはくれますけどね。





こちらは「神像館」「葵殿」の間にある枯山水の庭園「即興の庭」です。

当初の計画には無く、文字通り即興で作られた庭園で『松風苑』のメインの3つの庭園には含まれておらずあまり紹介もされておりません。

これはこれで良いと思いますが、ただこのタイプの小さな庭園は結構色んな所にあるのに対して、メインの三庭園は『松尾大社』でしか観れない独特のスタイルですので、それに比べるとやっぱり普通かな~とは思います。(´・_・`) 



『神像館』の奥に三庭園の一つ「上古の庭(じょうこのにわ)があって、これはミヤコザサに沢山の巨石がぶっ刺さっていて、松尾山と元々の御神体だった磐座(いわくら)を表しているのですが、おいらは食いつかなかったのか写真撮ってませんね。(´・ω・`) 



三庭園の最後の「蓬莱の庭(ほうらいのにわ)は、境内の外、鳥居楼門の間にあるのですが、特にチケットチェックも無ければ説明書きの類もなく、そもそも誰も神社の人がいないので、別にチケット無くても勝手に入って観ることは出来てしまうし、それ以前に中に入って観てしまっていいのか結構躊躇しましたよ。^^;

手持ちの「松風苑」の半券で何の問題も無く入れることをちゃんと確認した上で中に入ります。








こちらが池泉庭園「蓬莱の庭」です。池の周りをぐるりと回りながら、池に浮かぶ石の島々がやはり角度によって全く異なる表情を見せて楽しませてくれます。


蓬莱とは不老不死の仙界の意味で、池に浮かぶ石の島がそれを表しています。

蓬莱思想というものが鎌倉時代に流行ったので、「蓬莱の庭」は鎌倉時代の『松尾大社』「曲水の庭」が平安時代の『松尾大社』、そして「上古の庭」がそれ以前の「松尾山」を表していて、これらは昭和50年に昭和を代表する作庭家重森三玲(しげもり みれい)が設計しました。


重森三玲の庭園の特徴としては、伝統を重んじながらも現代的な表現を融合させて「永遠のモダン」を目標としていて、『松尾大社』の庭園は最後の作品だけあってまさに集大成といった感じの作りですね。素晴らしかったです。(・∀・)


重森三玲作の庭園で他に京都で観れるものとしては、『東福寺(とうふくじ)方丈庭園『東福寺』の塔頭の『光明院(こうみょういん)『霊雲院(れいうんいん)『龍吟庵(りょうぎんあん)『大徳寺』の塔頭の『瑞峯院(ずいほういん)、そして『吉田神社』の近くにある『重森三玲邸美術館』です。

『東福寺』『光明院』『瑞峯院』は今回観てますね。





境内の外にはこんな趣きある水車もありました。





『松尾大社』の御朱印>








『松尾大社』

開門時間・9:00~16:00
拝観料・500円(松風苑・神像館共通)
祭神・大山咋神、市杵島姫命
ご利益・酒業繁栄、延命長寿
交通アクセス・
 阪急『松尾大社駅』から徒歩すぐ
 バス『松尾大社前』から徒歩すぐ

HP・http://www.matsunoo.or.jp/

0 件のコメント:

コメントを投稿