~見返りうさぎが正しい道へお導き~
宇治川の上流へ行き『喜撰橋(きせんばし)』を渡って宇治川の中州にある「宇治公園」へ行きます。
『喜撰橋』を渡った正面にあるのが、日本最大にして最古の石塔『十三重石塔(じゅうさんじゅうのせきとう)』です。
かつて『宇治橋』が度々流失していた1284年に真言律宗の僧叡尊(えいそん)が、その原因を魚の乱獲による魚の祟りであるとして、それから網代などの漁が禁じられました。
そして1286年に『宇治橋』が完成した際に、魚の供養と『宇治橋』の安全祈願のためにこの石塔が建てられました。
さて中州を進んで『朝霧橋(あさぎりばし)』を渡って宇治川の向こう岸へ向かいます。
橋を渡ると『宇治十帖(うじじゅうじょう)』の浮舟(うきふね)と匂宮(におうみや)がいます。
さて『朝霧橋』のすぐ正面に待ち構えているのが『宇治神社(うじじんじゃ)』です。
こじんまりとしていますが、中々厳かな雰囲気のいい神社ですね。 (´▽`)
『宇治神社』は応神天皇の息子で仁徳天皇の異母弟の菟道稚郎子(うじのわきのいらつこ)の離宮「桐原日桁宮(きりはらひけたのみや)」の跡地に出来て、菟道稚郎子を祭神としています。
菟道稚郎子は学問に秀でた優秀な人物で父・応神天皇の寵愛を受け皇太子に立てられたものの、儒教の思想を受けていて「長男が跡取りになるべし」との考えから兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が皇位を継ぐべしと主張して辞退しました。
しかし大鷦鷯尊も応神天皇崩御の際に菟道稚郎子が皇位に継ぐべしと互いに譲り合うことになってしまった結果、三年間も天皇の座が空位の状態になってしまい、結局菟道稚郎子が自ら命を絶つことによって譲られる形で大鷦鷯尊が仁徳天皇となりました。
そんな菟道稚郎子を祀ったのが『宇治神社』な訳ですが、天皇の継承問題なんて血で血を洗う物騒な事件が普通なのに、何か俄かには信じられないエピソードですね。
そして菟道稚郎子の菟道からこの地を宇治としたと言われています。
菟道稚郎子が学問に秀でていたということから合格祈願の御利益もあるみたいですね。
『宇治神社』のマスコットに「みかえり兎」というのもおりまして、菟道稚郎子が河内の国からこの地へ向かう途中で道に迷ってしまった時に、一羽のウサギが現れて振り返りながら正しい道を案内してあげたという伝説もあります。 ̄(・x・) ̄
この逸話から菟道稚郎子という名前になったのか(菟は漢字のウサギ)、『宇治神社』が出来た時の後付けでこの話が生まれたのか気になる所ではあります。
兎の道と考えるとこのエピソードを踏まえて菟道稚郎子という名前になったってのが一番自然なんですけど、そもそも宇治の地名が先にあって、地名を名前に冠した説もあるみたいですので、だとすると元々ウサギが沢山生息していたことから兎の道→菟道→宇治って地名になったってのもありそうな話ですし。
そもそも菟道稚郎子が実在する人物なのか?って話にもなってきますが、今回行けなかったけれど近くにちゃんと菟道稚郎子のお墓はありますし。
まぁそれはともかくとしてウサギとの関連の深い神社ですので、色々とウサギ関連のグッズが豊富です。 ̄(ㅇㅅㅇ❀) ̄
他にも「うさぎおみくじ」なんていうかわいらしいのも売っててちょっと魅かれたのですが、この辺りはまだまだ先は長いのでスルーしました。今度短い旅行で再訪した時にでも買ってみたいと思います。⌒(•ㅅ•)⌒
他に手水の所で水を出しているのがウサギだったり、「願いうさぎ」、「寝そべりうさぎ」なんてのも居るみたいですが全く気が付いていません。もっとちゃんと見て回るべきでした(´・ェ・`)
あと上の写真のおみくじの上にある「うさぎ絵馬」にお願いごとを書いて本殿の周りを時計回りに3周する間に3つあるウサギの置物に巡り合えたら願い事が叶うなんてのも人気のようで、毎月1日は更にもう1つ増えるみたいで、パワースポットとしても人気のようですね。
<『宇治神社』の御朱印>
『宇治神社』
参拝時間・境内自由
祭神・菟道稚郎子
ご利益・学業成就、受験合格祈願
交通アクセス・
JR『宇治駅』から徒歩10分
京阪『宇治駅』から徒歩5分
京阪バス『京阪宇治停留所』から徒歩5分
HP・http://uji-jinja.com/
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