『宇治上神社』を後にして1回「朝霧橋」へ戻り、そこから橋を渡らずに宇治川の上流へと歩いていきます。
3分ほど歩いて『興聖寺(こうしょうじ)』に到着。
門を潜ると「琴坂」という長い坂が伸びています。ここは宇治十二景の1つで秋には紅葉のスポットとして有名です。
また参道沿いに流れる湧水が琴の音色に聞こえること、長い参道が琴の形に似ていることが「琴坂」の由来となっています。
『興聖寺』の山門は昨日訪れた『石峰寺』と同じ中華風の竜宮造ですが、『石峰寺』の派手な真っ赤な門とは違って落ち着いた白い門でした。そのせいか『石峰寺』に比べて中華感は薄い感じがします。
『興聖寺』は1233年に曹洞宗の開祖道元(どうげん)が建てた日本最初の曹洞宗のお寺という由緒正しき古寺です。
ただし当時は伏見の深草に建てられていました。昨日訪れた『宝塔寺』の近くのようです。
しかし1243年に『比叡山延暦寺』の弾圧を受けてわずが9年で廃寺となってしまい、時は流れて1645年に淀藩主の永井尚政(ながいなおまさ)が現在の宇治に再興して現在に至ります。
山門を潜るとまず前庭となっていて、正面には朝日山を背後に「薬医門(やくいもん)」、左手に「六角堂の鎮守社」、右手にある鐘楼は「興聖の晩鐘(こうしょうのばんしょう)」と言いこれも宇治十二景となっています。
いきなり立て続けに宇治十二景が2つも出て来て気になったので、ちょっと宇治十二景を調べてみました。
1・春岸酴釄(しゅんがんのやまぶき)
(春の宇治川の岸辺に咲く山吹の花)
2・清湍蛍火(せいたんのけいか)
(初夏の宇治川の蛍)
3・三室紅楓(みむろこうふう)
(三室戸寺の紅葉)
4.長橋暁之(ながはしのぎょうせつ)
(雪が降り積もった朝の宇治橋)
5.朝日靄暉(あさひのあいき)
(宇治川の朝霧)
6・薄暮柴舟(はくぼのしばふね)
(宇治川を下る柴舟)
7・橋姫水社(はしひめすいしゃ)
(橋姫神社)
8・釣殿夜月(つりどののよるのつき)
(釣殿観音と月※若干不確かです><)
9・扇芝孤松(おうぎのしばのこしょう)
(扇の芝の一本松)
10・槙島瀑布(まきしまのばくふ)
(槙島の滝※場所が特定出来てないです;;)
11・浮舟古祠(うきふねのこし)
(浮舟社)
12・興聖晩鐘(こうしょうのばんしょう)
(興聖寺の鐘)
こんな感じで全体的に風流な感じで、ピンポイントの名所と言うよりはある時期限定の名物ってのが多いですね。あと現在は無い or 見にくいものもあるようです。
ちなみに8と9は『平等院』、3と11は今回の旅で行けませんでしたが『三室戸寺』の中にあります。
てゆーか「琴坂」はどれ?(-_-;)
12の興聖晩鐘とセットになっているのか、1の春岸酴釄でこの辺り一帯の花としてまとめているのか、でも紅葉の名所な訳だからきっと12に含まれてるんだろうな。
※詳しい人誰か教えてください(8と10も)(-人-)
※せっかくなので「興聖晩鐘」をもう1枚。
「薬医門」を潜ると正面に本堂、その周りが庭園となっています。
朝日山が借景となって中々絵になる庭園です。(今回の旅の初庭園かな)もうちょっと後に来ていたらもっと青々として美しかったんでしょうけれど、まぁ仕方ないですね。(´・ω・)
境内は散策自由となっていて、本堂の見学は別途300円払えば観れるため前庭に戻って右手の入口から入ります。
入口のお姉さんに拝観料を払うと「見所マップ」を渡してくれて、「中は全部写真撮影OKなので、どんどん撮ってどんどんインスタに上げてください」とのこと。
おや?太っ腹ですね(゚Д゚) それではお言葉に甘えて写真を撮りまくったので、インスタじゃ無くてブログですがどんどん紹介していこうと思います♪
まず入り口にいきなり気になるものがぶら下がっていました。
これは木魚の原型といわれる梆(ほう)で、こいつを叩いて時刻を知らせていました。ただしこれはもう年季が入り過ぎて穴ぼこが空いてしまっているので、おそらくもう未使用のオブジェなんでしょうね。
左手に庭園を眺めながら「庫裡」を奥へ進んで行くと「方丈」があり、その隣りに内庭があります。
こじんまりとしていますが、ここも良い庭ですね(*´▽`*)
その先には「大書院」があります。
ここは大正元年建立で、大正天皇の奥様の貞明皇后(ていめいこうごう)様の行啓の際に使用されておりました。
さらに進むと法堂です。
扉の絵は大分傷んでしまっていて、表側が孔雀なのは分かりますが反対側は何ですかね?鶴かな?
こちらは「法堂」で、御本尊の釈迦三尊が安置されています。
そして「法堂」の廊下の天井は血天井となっています。
『興聖寺』の法堂は『伏見城』の遺構を用いて建てられています。
1600年「関ヶ原の戦い」の前哨戦でもある「伏見城の戦い」が起こり、これは石田三成方の西軍の勝利に終わったのですが、その際『伏見城』を家康より任された東軍の鳥居元忠(とりいもとただ)は籠城して西軍の攻撃を耐え忍びました。
結局元忠は敗れ去り800人が討ち死にすることになってしまい、その時の廊下の板を供養のために天井板として『興聖寺』の他、数か所で使用されています。ガクガク((;OдO))ブルブル
3枚目の天井の写真では血まみれの手形、足型の判別が付く箇所を白丸で分かりやすくしています。あれはおいらが画像に加工したんじゃなくて、実際に白い丸が付いてます。他所の血天井がある施設では係の人が教えてくれていたので説明の手間をはぶくためなんでしょうが、本当にどこまでサービスが良いんだ(-_-;)
ただ手形の方は本当にハッキリと分かるのでムッチャ生々しいし、2枚目の写真の手前部分も結構血痕でどす黒くなっていて、実際に観るとかなり怖いっすよ (。>д<)
更に奥に進むと「祠堂殿(しどうでん)」。中には手習観音(てならいかんのん)が安置されています。
これは平安時代の歌人小野篁(おののたかむら)作と伝えられていて、元々は「宇治十帖」の第9帖の「手習」ゆかりの地である『手習いの杜』の『観音堂』に祀られていましたが、江戸時代初期に『興聖寺』に移されたそうです。
それにしても調べてみるとほんの数年前までは非公開になっていて、4年前の2014年には特別公開という扱いだったくらいの貴重な文化財みたいです。
え~、本当にそんな貴重なもの写真撮ってこうやってアップしちゃっていいのか今更ながら不安になっていますが、他所の最近のブログでは普通に載せていますから問題ないんでしょう。
監視カメラ設置とは書いていましたが特に寺の人が見張っている様子は無いし、老婆心ながら本当に大丈夫なの?って不安にもなりますな。
仏像の感想としては、ハスの花を持っている左手がきれい(人*´∀`)
階段を登った所にある『興聖寺』の一番奥の「天笠殿(てんじくでん)」には観音様や『興聖寺』を再建した永井家の像が祀られてます。
続いて「老梅庵(ろうばいあん)」こと「開山堂(かいさんどう)」です。
こちらには『興聖寺』を開いた道元禅師の像などが祀られています。
廊下を先に進む途中で、正面に大黒天、右面に毘沙門天、左面に弁財天の顔の三面大黒天の像が安置しております。
三面大黒天って大黒天が笑い、毘沙門天が怒り、弁財天が冷たい無表情で、まるでキン肉マンに出てくる悪魔超人アシュラマンみたいだな~と思ってふと考えてみると。
以前からの素朴な疑問で、そもそも阿修羅像って基本無表情だったり(笑う阿修羅像ってあるのかな?)、3つの顔にも左程の違いは無いので、アシュラマンが顔を変えるとファイトスタイルもそれぞれの顔に合ったものに変えていたのに軽い違和感というか、まぁゆでたまごだし面白いからいっかって感じだったんだけど。
アシュラマンのモチーフとして、阿修羅像だけでなくこの三面大黒天の要素も加えたのかな?ってくだらないことを考えてました。
(皿´(・▽・)ー_) カーッカッカッカッ
いよいよゴールも間近、「僧堂(そうどう)」です。ここでは毎月第1、3日曜日に座禅会が行われ、普段も10:00からと14:00から60分間の座禅体験が行われています。
「僧堂」を後にして受付へと道すがらまたも梆が。こちらは現役かな。
庭園の周りを一周する形で受け付けへ戻ってきました。ここでお茶も一杯いただき最後まで至れり尽くせりです。(´∀`*)
規模のわりに本当に見所たっぷりなお寺で、非常に楽しめました。
(^▽^)
今こうやってブログを書くために調べてみて、改めてそんな貴重なものの数々を見せるだけでなく写真まで撮らせてくれたの!?って驚いてますし、それでいて拝観料300円って超破格の値段ですね。
この後訪れた所と比較しても圧倒的なコストパフォーマンスの良さで、実感として800円くらい取っても良いかなって思ったけれど(実際2014年の特別公開時は800円でした)、それだと高過ぎて人が来てくれそうにないから500円が妥当かな~。それでも全然納得の価格だと思いますよ。
紅葉シーズンだけでもむしろ値上がりして下さい!って頼みたいかな~。人が来過ぎるのも逆に嫌だからね。 (゜⊿゜)
でも宇治の奥の方にあるからか、ここもそんなに人は来ていませんでした。庭園だけ見て中は見学しないグループも数組いたけれど勿体ないな~。
まぁ正直このサービス期間がいつまで続くのかな?とも思うけれど、宇治観光の穴場スポットとしてオススメします。
<『興聖寺』の御朱印>
『興聖寺』
開門時間・9:00~16:00
拝観料・300円
宗派・曹洞宗
交通アクセス・
JR『宇治駅』から徒歩25分
京阪『宇治駅』から徒歩15分
京阪バス『京阪宇治停留所』から徒歩15分
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