3日目は『祗園四条駅』から京阪本線の特急に乗って、『中書島駅』で宇治線に乗り換えて、終点の『宇治駅』で下車。
宇治と言えば、もちろん宇治抹茶と『平等院鳳凰堂(びょうどういん ほうおうどう)』ということで、今日は『平等院』と宇治周辺の散策をしていきます。
とは言え昨日の伏見山登山で筋肉痛ボロボロになってしまっているので(><;)、出発も遅くなってしまって宇治駅に着いたのも昼のちょっと前でした。
次の日に筋肉痛が来たのに喜んでいいのか、もっとも初日の分の筋肉痛が1日遅れで来た可能性もあるけれど(苦笑)
『平等院』へは京阪宇治線の他にJR奈良線でも行けて、どちらを利用しても距離的には大差無いけれど、京阪から来た方が宇治川を『宇治橋(うじばし)』で越えて行くことになるので、雰囲気的にこっちの方が盛り上がってきますね (☆゚ω゚)╱
『宇治橋』を渡った所で紫式部(むらさきしきぶ)がお出迎え。宇治は「源氏物語」の最後の舞台となり、そこの部分は「宇治十帖」と呼ばれるほどの重要スポットでした。今回は時間的に行けませんでしたが、『源氏物語ミュージアム』なんてのもありますからね。
参道を通って『平等院』へ向かいますが、意外とお店の類は無く落ち着いた雰囲気でしたね。
まもなく入口の山門に到着。この日はツアーの団体客が多く、入れるまでちょっと時間が掛かりました。
こちらは「観音堂(かんのんどう)」。「釣殿(つりどの)」という俗称で、夜の月との取り合わせが宇治十二景の「釣殿夜月(つりどののよるのつき)」と呼ばれています。
「観音堂」のすぐ隣にある一角が「扇の芝」で、この松の木が「扇芝孤松(おうぎのしばのこしょう)」と呼ばれこちらも宇治十二景の1つです。
「観音堂」の先に「藤棚」があり、4月後半は藤が見頃です。
「藤棚」の先に『鳳凰堂』があります。まっすぐ向かえば入口から1~2分位のすぐ近くにあります。
ちょうど『鳳凰堂』の内部見学が始まる所だったのですが、ひとまずスルーして先に周りを散策します。
『平等院』は平安時代の終わり1052年に藤原道長(ふじわらのみちなが)の別荘だった『宇治殿』を譲り受けた藤原頼通(ふじわらのよりみち)が寺院に改めたのが始まりです。
当時は末法思想が信じられた時代だった上に天災人災疫病なども相次ぎ、人々の不安がMAXになっていました。
そんな時代にあって頼通は現世に極楽浄土を再現しようと「阿弥陀如来」を本尊とする『阿弥陀堂』を造り、それが後に『鳳凰堂』となりました。
この『鳳凰堂』は機能性とか利便性とか人がそこで活動するということを一切無視して、ただひたすらに外観の美しさのみに特化して造られた建物です。それを踏まえた上で『鳳凰堂』の写真を紹介していきます。
いや~どこの角度から観てもほれぼれしますね~ (*´∀`*)
日本人の常識問題としては、この『鳳凰堂』が10円玉の表面に使用され、屋根の上に居る鳳凰像が一万円札の裏面で使用されているくらいに日本の象徴といってもいい建物なだけありますね。
しかも京都は度重なる戦乱で多くの建物が焼失→再建をしていて、ここ『平等院』もほとんどの建物が焼失していますが、『鳳凰堂』だけは奇跡的に免れて途中補修工事はあれども当時のものがちゃんと現存されているのですね。
京都の中心地から外れていて被害に遭いにくいってのもあったかもね。
まぁ、そりゃあ世界遺産になりますよね(^▽^)
ちなみに鳳凰像です。1体のみのどアップ写真も撮っておけば良かったなと反省しておりますが、これは1968年に代替わりした2代目で何気に今年50周年だったんですね。
初代の方は『ミュージアム鳳翔館』に展示されていますが、900年以上に渡って風雨にさらされ続けていながら特に目立った損傷も無く見事な造りでした。(*´O`*)
『鳳凰堂』の先に御朱印を頂ける所があって、列がそれほど出来ていなかったので並んでみましたら、その後で次から次と人が来てあっという間に長蛇の列になってしまったので、タイミングが良かったですね。
『平等院』では「鳳凰堂」と「阿弥陀如来」の2種類あるので両方いただきました。ちなみに『平等院』では、印を紡いでいくという意味で「朱印」ではなく「集印」と呼ぶそうです。
これは高台の上にある梵鐘です。日本三名鐘の一つと言われていますが、これも2代目で初代はやっぱり『ミュージアム鳳翔館』に展示されています。
ちなみに三名鐘のあとの2つは京都の『神護寺』と滋賀の『三井寺』のものです。
あと鐘楼が真っ赤なのは、『鳳凰堂』の塗り替えの時にまずここで試し塗りをしてみるからだってこの前テレビでやってたw
『平等院』唯一の飲食施設の「茶房藤花(さぼう とうか)」と「平等院南門」。お腹は空いてきたけどお茶とお菓子しかないので今回はパス。
重要文化財の『養林庵書院(ようりんあんしょいん)』は非公開になってます。
『平等院』の塔頭の『浄土院(じょうどいん)』。下は観音様が船を漕いでいる「救世船乗観音(くぜふなのりかんのん)」です。
ここでも御集院がもらえてちゃんと案内板もあったようなのですが、全っ然気が付かなかったです (´・ω・`)
宇治市指定文化財の『羅漢堂(らかんどう)』
通園家初代、大敬庵通園(たいけいあんつうえん)のお墓。『羅漢堂』とこのお墓は『浄土院』の敷地内にあります。
『平等院』の塔頭『最勝院(さいしょういん)』は玄関だけ入れました。
「不動明王」をご本尊とする『最勝院』の本堂『不動堂(ふどうどう)』です。ここで御集院をもらえるのですが留守でした。ただし「14時半に戻ってくる」との張り紙が残されていたので、再訪して無事に頂くことが出来ました(・∀・)
源頼政(みなもとのよりまさ)のお墓。1180年に以仁王(もちひとおう)と共に反平氏のクーデターを興すも、ここ『平等院』で自害してしまった人です。
『最勝院』の壁越しの『鳳凰堂』なんかも。
一通り観て回った後で『平等院』の総合博物館の『ミュージアム鳳翔館』へ。
当然館内は撮影禁止ですが、中には既に紹介した「初代鳳凰像」と「初代梵鐘」の他にも「十一面観音立像」、「雲中供養菩薩像26躯」等が展示されていました。
特に「雲中供養菩薩像26躯」は元々「阿弥陀如来坐像」の周りを飛んでいた52体の菩薩像の半分の26体の像を展示しているものですが、これは壮観でしたね (゜ロ゜)
最後にいよいよ『鳳凰堂』の内部の拝観です。
1回の定員が最大50名で20分ずつ案内人に連れられて行くのですが、ちょっとタイミングが悪く前の組の出発直後にチケットを購入してしまったので、15分以上待つことになってしまいました (´・ω・)
最初に観ておけば待たずに済みましたし、うまくタイミングを見計らって行くのがベストですね。
では『鳳凰堂』の内部見学ですが、30名くらいだったかな?中には社会科の教科書なんかで見覚えのある有名な「阿弥陀如来坐像」がいらっしゃいました。
もちろん見事なんですけど、ここの「阿弥陀如来」って何と言いますか全てを悟り切ったかのような無表情でまさに虚無という感じで、その大きさから来る迫力も相まってちょっと怖いんですよね。それも「不動明王」なんかの怖さと違って不気味な感じの怖さですね (;´・ω・`)
最後に。当然『鳳凰堂』の中は撮影禁止ですが、「阿弥陀如来坐像」はこんな感じに格子越しに観ることが出来るのでズーム越して撮ったけどこれは良いのかね?まずかったら削除します(・ω・)
そしてこういう風に「阿弥陀如来坐像」が外からも観ることが出来るのは、当時の庶民は当然『鳳凰堂』の中に入ることは出来ませんが、こうして池越しの遠くからでも拝むことが出来るようにするためで、顔の所もちゃんと見える様にわざわざ格子を開けてるんだってさ。(-人ー)ナムー
『平等院』は人生の内に一度は行っておくべき所でしょうが、普通は修学旅行で行くのかね?ウチら行ってないんだけど(・皿・)
<『平等院』の御集印>
※『阿弥陀如来』と『鳳凰堂』
※『最勝院』
『平等院』
開門時間・8:30~17:30
9:30~16:30(鳳凰堂内部)
9:00~17:00(鳳翔館)
拝観料・600円
300円(鳳凰堂内部は別途)
宗派・無宗派
ご利益・開運出世、金運アップ
交通アクセス・
JR『宇治駅』から徒歩10分
京阪『宇治駅』から徒歩10分
HP・https://www.byodoin.or.jp/
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