『知恩院』を壁沿いに進むと、はるか先の方にうっすらとでっけえ赤い鳥居が目に入ってきました。
地図を見比べてみるとどうやら『平安神宮』のもの。
※写真は後日撮ったものです。
おそらく近い内に行くと思われるので、結構近くにあるという位置関係を把握してとりあえず道の右側にある『青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)』へ。
『青蓮院』は天台宗総本山『比叡山延暦寺』の三門跡の1つで、あとの2つは『三千院(さんぜんいん)』と『妙法院(みょうほういん)』です。今回の旅では全部行ってきましたが、『妙法院』は境内しか観られず印象が薄いせいか、あ~そんな凄い所だったんだって感じです。
また『青蓮院』の飛地境内の『青龍殿(せいりゅうでん)』にある青不動尊画は、和歌山県『高野山明王院』の赤不動、滋賀県『大津園城寺』の黄不動と共に日本三不動画と言われています。
『青龍殿』は2016年に『長楽寺』の更に後ろの東山山頂に出来たばっかりの所で、手持ちのガイドブックにはまだ掲載されていない物も多いせいか、今初めてその存在を知りました。(´・ω・`)
行くのは相当大変な場所にありますが専用のシャトルバスが走っていて、地下鉄東西線『蹴上駅』から9分、清水寺参道入り口の『五条坂』から13分で行けます。
青不動は常に観ることが出来るわけではない上に観れたとしても複製の様ですが、ここもタイミングが良ければ行きたいですね~。
ちなみにお寺の基礎知識として門跡寺院とはなんぞや?ですが。
門跡というのは元々は仏教の開祖の正式な後継者のことを指していましたが、鎌倉時代になって武士の時代になってから、経済力の低下した貴族や公家が特定の寺院に出家することが増えるようになり、現在では皇族、公家が住職を務める寺格の高い寺院のことを門跡寺院と呼ぶ感じになっています。
そんなわけで皇族とのつながりからか『青蓮院』も江戸時代に一時仮御所になったことがあって、それから『粟田御所(あわたごしょ)』という風にも呼ばれています。
おいらも漫画『ブラックジャック』で門跡のことを知ってから興味のある分野ではあったし、これから沢山の門跡寺院に行く事になりますので色々とお勉強していきたいな~と思っています。(・∀・)
『青蓮院』は元々は『延暦寺』にあった『青蓮坊』という小寺院の1つに過ぎませんでしたが、平安時代の末期に鳥羽上皇の皇后美福門院(藤原得子)(びふくもんいん / ふじわらのなりこ)が祈願所とした頃から寺格が上がり始めます。
それから鳥羽上皇の息子が行玄大僧正(ぎょうげん)の弟子となった後京都へ移って『青蓮院』に改称して、行玄が最初の門主になりました。
そしてそれ以降門主は代々皇族か五摂家の子弟が務める様になりました。
歴代門主の中で目に付いたのが第三代慈円(じえん)です。慈円は「愚管抄(ぐかんしょう)」を著した人として有名ですが、まぁ今日はここまで慈円が建てた『吉水弁財天』、慈円が援助した『安養寺』に、もっと言ってしまえば『円山公園』の名前の由来とも言えるので、『円山公園』周辺には慈円ゆかりの地で一杯ですし、今日は慈円尽くしの1日でした。
ところで『青蓮院』も御多分に漏れず色々とトラブルに見舞われましたが、特に近年色々と大きな被害に遭っているようです。
まずは明治26年(1893年)に火災で大部分の建物が焼失してしまいました。
そしてきっかり100年後の1993年、偶然でしょうが中核派の過激派の放火にあって茶室の『好文亭(こうぶんてい)』が焼失してしまいました。
この後にも赤絡みのトラブルはあったみたいで、やっぱり門跡寺院はその性質上左翼に目を付けられやすいんでしょうし、『京都大学』もそう遠くない所にありますしねえ。。。
よくよく見ると昭和天皇の叔父の東伏見慈洽(ひがしふしみ じごう)が門主を務めていたとのことで変に納得してしまったり、更にその跡目問題でもトラブルが発生していたそうで。。。
う~ん、平安時代とか室町時代の事なんかだったら好き勝手に書けるけれど、近年のこういう問題に関してはちょっと深入りするのは止めておこう。(^_^;)
それよりもまだ大分先の話ですが、2093年はちょっと気を付けた方がいいかもしれませんね。偶然ではなく必然で、良からぬヤツに何かされる可能性がありますから。
とりあえず入口にある巨大なクスノキの木に癒されておきましょう。
そんなわけで中に入りましょう。ここもまず入り口で御朱印帳を渡して、帰りに受け取るシステムになっています。
さて『青蓮院』の見所は何といっても入口を入ってすぐの所にある「華頂殿(かちょうでん)」と呼ばれる客殿です。
襖絵の蓮の群青色が色鮮やかな広い和室になっていて、三十六歌仙の額絵も飾られて楽しませてくれます。
そして「華頂殿」に入って右側の壁は一面ガラス貼りになっていて、そこからは相阿弥(そうあみ)作の美しい池泉回遊式庭園を楽しむことが出来ます。
しばし庭園を眺めながら癒されます。 (*´∀`*)
「華頂殿」から渡り廊下を使って「小御所(こごしょ)」と「宸殿(しんでん)」にも移動出来ます。
こちらは「小御所」。平安時代は門主の居間として利用され、その後は仮御所として上皇も利用していました。
これは「小御所」の近くにある「一文字手水鉢」で、豊臣秀吉が寄進したものです。
こちらは「宸殿」です。「宸殿」は門跡寺院特有の建物で、主要な法要をこちらで行っています。
こちらの庭には雛人形でおなじみの左近の桜、右近の橘も祀られていて、こんな所でも格式の高い場所であることを感じさせてくれます。
ただし「小御所」、「宸殿」共に明治の火災の時に焼失してしまい、これらは後に復元したものです。
何かこれらの建物内に色々と飾られていたと思うのですが、何があったかイマイチ覚えてねえです。(-ω-*)ゞ
建物内は一通り見終わった所で、実際に庭園の散策をします。
3枚目の「小御所」と「龍神池」のショットは屈指の絶景スポットとなっています。いや~良い画ですね~(人○´Д`○)
こちらは「華頂殿」。写真が遠いですがガラス張りの壁は外からだとこんな感じです。
更に奥に進むと小堀遠州作の「霧島の庭」があります。名前の由来は霧島つつじが一面に植えてあるからで、5月の連休の頃が一面真っ赤になって見頃です。
こちらは「好文亭」。先ほどちらっと出ましたが1993年に放火させられた建物で、2年後に復元されました。
天明の大火で『京都御所』が焼失した時には、後桜町上皇(ごさくらまちじょうこう)が仮御所として使用していました。
ちなみに後桜町上皇は明治天皇の5代前の天皇で、現時点で最後の女性天皇です。
その後はもっぱら茶室として利用され、現在は春と秋に特別拝観期間を設けて一般に公開しています。
春は春分の日からゴールデンウィークまでで、今回おいらの帰国日が春分の日だったのでまぁ無理でした。左近の桜がちょうど咲く時期ですね。
秋は11月いっぱいでちょうど紅葉の季節なので、こちらはぜひともセットで観たいですねぇ。(*´Д`*)
竹林の小路を上って行きます。途中に「小御所」と「龍神池」を上から観ることが出来ますが、ここからも良い画ですね。
竹林小路を上った先には、ひっそりこっそり『日吉社(ひえしゃ)』があります。元が『比叡山延暦寺』だけあって、山王権現様が鎮守しております。
竹林を抜けた先には「本堂」の「熾盛光堂(しじょうこうどう)」があります。
何故か境内の一番奥に目立たない様にしてあります。
本尊は熾盛光如来ですが、正直他では聞かない名前の仏様です。
熾盛光如来の曼荼羅は、金の梵字の周りが鮮やかな群青色になっているので、『青蓮院』の名前の由来がここから来てそうですね。
そして「本堂」の裏手に「宸殿」があります。ここのクスノキの木も立派ですね~。
最後に親鸞聖人がお見送り。と言いつつ唐突に出てきましたねw
親鸞と『青蓮院』の結びつきとしては親鸞は『青蓮院』にて得度し、その時剃髪した髪の毛が「植髪堂(うえがみどう)」にて祀られているそうです。
こちらが入口のすぐ左手にある「植髪堂」です。
さすがに格式高いお寺だけあって見応え十分でした♪
ちなみに毎年春と秋に夜の特別拝観を行っていて、庭園中が群青色にライトアップされていて中々幻想的な光景です。
今年は3月9日から18日までやっていたので、これは行っておけばよかったなとちょっと後悔しています。(´・ω・`)
次に行く所を調べるのに手一杯で、1回行った所のHPをわざわざ見たりしませんでしたからねえ。。。
<『青蓮院門跡』の御朱印>
御朱印は熾盛光如来でレアですね。真ん中には菊紋の印が押されています。
そして青不動の御朱印もあるそうで、青不動を観ることが出来たらぜひとも頂戴したいです。(・∀・)
『青蓮院門跡』
開門時間・9:00~17:00
拝観料・500円
宗派・天台宗
交通アクセス
地下鉄『東山駅』から徒歩5分
京阪『三条駅』から徒歩16分
バス『神宮道』から徒歩3分
HP・http://www.shorenin.com/
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