『宝塔寺』を出て南へすぐの所に『元政庵(げんせいあん)』こと『瑞光寺(ずいこうじ)』があります。
石段をちょっと進んだ先にある山門はかやぶき屋根になっている珍しい造りのものですね。
境内はあまり広くなく、それほど長く滞在していなかったからというのもありますがおいら以外には誰も人がおらず、非常に静かな落ち着いた空間でした。
『瑞光寺』は本堂もかやぶき屋根になっていて、パッと見本堂には見えません。てゆーか、ぶっちゃけこれが本堂だったの!?って、今気がついたくらいです。Σ(,,゜∀゜,,;)
山門入ってすぐ横の所には帝釈天と吉祥天を祀っている小社もあります。
本堂があんな感じでもあるので、全体的にお寺っぽくないんですよね。
今ブログを書きながら『瑞光寺』について調べている内に、2点気になるネタを見つけました。
まずは『瑞光寺』が所有している重要文化財として、あの長屋王(ながやおう)が文武天皇が崩御した時に書いた経文の「長屋王願経(がんきょう)」というものがあって、これを今年は4/29~5/8まで公開していたそうです。
長屋王と言えば奈良時代の729年に、藤原四兄弟の陰謀によって自殺に追い込まれてしまった「長屋王の変」で有名な歴史上の人物です。
個人的に数年前から長屋王がマイブームなので色々と調べてみたいのですが、あまりにも長屋王について取り扱っている書籍の類が無さ過ぎて困っていましたし、今回の旅行でも当初は奈良県の方にも2~3回行く予定でいたので、その時には奈良にある長屋王邸跡やお墓に行きたいと思っていたくらいでした。
経文を見たくらいで何が分かるという訳でもありませんが、京都には長屋王ゆかりのものが特に見つからなかっただけに、ちょっと悔しいですね。(´・ω・`)
まぁこればっかりはタイミングですので見れなかったのは仕方ないのですが。
もう1点は『瑞光寺』は縁切り寺と言われているのですが、その由来が中々に興味深いものでして。
『瑞光寺』は1655年に元政上人(げんせいしょうにん)こと日政(にっせい)が草庵を結んだのが起こりとなっていますが、そもそもこの元政上人が出家することになった原因が。
元政は元々江戸で井伊家に仕えていまして、その時吉原の花魁(おいらん)と恋仲になったのですが、仙台藩主の伊達綱宗(だて つなむね)に横恋慕されてしまった挙句に花魁が綱宗に殺されてしまい、このショックから元政は出家することになり、その話が元となって『瑞光寺』は縁切り祈願の信仰を集めることになったそうです。
それでこの時恋仲になったのが吉原の三浦屋高尾太夫(みうらやたかおだゆう)という花魁なんですね。
高尾太夫と言えば、落語ファンにはお馴染みでしょうが「紺屋高尾」という噺がありまして、おいらも一番好きな噺なのですが特にこの高尾太夫とは関係なく。
高尾太夫とは吉原にあった三浦屋という妓楼のNo.1の遊女に代々名乗らせていた名前で、「紺屋高尾」の高尾太夫は七代目(五代目説もあり)で、綱宗にころされたのは三代目(二代目説もあり)となってます。
伊達綱宗はかの伊達正宗の孫でしたが典型的なバカ殿で、放蕩三昧の生活を咎められ21歳の若さで楽隠居の身分になってしまった人でした。そしてそれが元となって、三大お家騒動と言われる「伊達騒動」が引き起こされてしまい、これら一連の騒動は歌舞伎の「伽羅先代萩(めいぼく せんだいはぎ)」という演目で取り扱われるほどでした。
もっともこの一連の話どこからどこまでが真実で、どこからどこまでが物語なのか、結構眉唾だったりはするのですが、小さいお寺のわりにはそんな歴史的背景があったりするんですね。
実際に縁切りをするには元政のお墓へお百度参りをしなければいけないのですが、そのお墓がJRの線路が引かれた際に分断されてしまって、線路の反対側に行かなければいけないとのことです。
これにて『伏見稲荷大社』周辺の探索も終わり、小腹が空いてきたので腹ごしらえに再び『伏見稲荷大社』の方へ戻ることにします。(・ω・)グゥー
『瑞光寺』
開門時間・10:00~17:00
宗派・日蓮宗
ご利益・縁結び、縁切り
交通アクセス・
京阪『深草駅』から徒歩8分
JR『稲荷駅』から徒歩15分
バス『龍谷大学前』から徒歩10分
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